ゆっくりプロレス格闘チャンネルへようこそ!
このチャンネルでは、プロレスラーと格闘家の栄光、名勝負の裏舞台にスポットを当て、関係者や側近しかしらない裏話を交えた動画をお届けします。
あまり詳細を書くと私が誰だかバレてしまうので、動画の中でも個人情報に関することは差し控えますが、プロレスファン、格闘技ファンの方はもちろん、これまでプロレスや格闘技に関心のなかった方がご覧になっても楽しめる内容を配信していきますので、チャンネル登録よろしくお願いします🙇
動画を見ていただいたら、コメント欄に書き込んでいただくと嬉しいです😊

Share.

15 Comments

  1. ゴング誌とプロレス誌は、ターザンが編集長になるずっと前からいがみ合っていました。全日によるハンセン引き抜き事件の当時も、プロレス誌に「一部のマスコミが暗躍した」と書かれていて、ゴングは猛反論していました。国際プロレス崩壊後に主力外人の殆どが全日マットに登場したことでも、同じような論争がありました。動画内のコメントで皆さんが言われるように、試合結果などのデータや海外マットの情報はゴングの独壇場だったイメージがあります。ターザンの文章は、彼が在籍当時に週刊ファイトの編集長だった井上氏の影響が強く感じられました。仕事の都合で今週は間に合いませんでしたが、次回はリアルタイムのコメントで会話できればと思います。

  2. 背景右が不快です!当時を思い出して不快になり最後まで視聴出来ませんでした。
    編集長だかなんだか知らないが、あんなのを有り難がっているファンも多く胸くそ悪い狂った時代だと思います。

  3. 楽しく拝見させてもらってます。
    ターザン山本か…
    月刊時代からゴングと共に買っていましたが、ターザン山本が編集長になってから週プロを買うのはヤメました。
    彼の文章にはワクワク感は無く、偏り過ぎて写真見て飛ばしてたのを覚えています。
    当時は、ターザン山本がBI砲に擦り寄るのがやけに鼻につきましたね〜
    後楽園ホールへプロレス観戦に行った際、雛段の後方で何度か見た事がありましたよ。脱プロレスしたのに何でいるんだ?と当時は腹立たしかったですが…やはり気になってたんですかね。
    以外に体がデカかったですよ。

    週プロは、試合のベストショットで選手に活字を被せるのが好きではなかったです。

    また、次回を楽しみにしてます😊

  4. LIVEお疲れ様でした!
    どう受け取るかは別として、リングスはオファーに対して「ドールマンの引退試合がやりたいので是非参加したい」
    とすぐに回答したと聞きます。
    対して天龍さん(と武井社長)はSWSの事を忘れておらず、貫き通す姿が格好良かったですね
    ただ選手の意識はWARになってもSWS時代とあまり変わっていなかったようで・・
    天龍さんに食わせてもらっている選手が大半なのに何故か武井社長に反発してみたり何か残念でした🤔

  5. この興行が決まった時に本気でBI対決が実現すると期待したのが懐かしい。
    シングルは無理でもタッグ対決は本気で期待してしまったなあ。
    でも猪木は、この直後にキダチアロエ興行が控えていたから無理やりだった。
    BI対決ではなく普通の試合でもこのこうに出場するのは無理だったわけで。

  6. 主催がどうあれ、ター山がWARを蔑ろにしたことは紛れもない事実である。
    またこれにも先立つこと数年前、馬場から金をもらいながらSWSに対して天龍バッシングと団体バッシングを書き、同時に口止め料としてメガネスーパー田中社長からも金をもらっていたター山は絶対に許してはならない。
    今のように情報が溢れかえっている時代の人達には分からないでしょうが、当時の限られた情報網の中ではプロレス週刊誌は絶対的な情報源であり、それが全てと言ってもいいほどの状況でした。そんな時代に、その情報発信の旗手であるター山率いる週プロが偏向報道を繰り返し、プロレス界を捻じ曲げた罪は本当に深いと思います。

  7. 今回もありがとうございました。
    当時の細かい話までとても良い思い出として、楽しめました。
    山本さんは、時代の寵児のとして時代を作りましたよね。
    しかしながら、僕は、ガチガチの天龍一派だったので
    後楽園ホールに注目していました。
    ドームの夢も大きく
    WAR後楽園大会も意地を守って
    どちらも楽しめた大会でした♪

  8. 自分は、これチケット買ったけど、行けなかったんですよ。
    安い3000円の席でしたが。今はなきチケットセゾンでした。
    ちなみに、このチケットは今でも持っています。

  9. 今回も興味深い解説有難うございます、WARの抵抗は反週プロ(山本)氏にいい思いをしていない方々は代弁してくれたと感じたはずです・
    しかしこの興行を境に山本氏の発言が過激になっていったのは残念。おっしゃる通り文才は素晴らしい方なのに
    残念。反面教師になるお方でした

  10. 天龍と越中の師弟の感動物語は多分、御自身も知ってると思います。1984年に全日本からメキシコ遠征中だった若手の三沢と越中に馬場さんは電話で越中に「三沢を日本へ戻せ!」と言われ、自分は食べ物の合わないメキシコに残され、三沢は二代目タイガ―になることで帰国が許された。ひもじい思いの時に翌年、新日本の副社長の坂口さんから、全日本に長州力ら維新軍団を日本勢手薄で戦力補強に「こちらに来ないか?」と誘いでハワイかどこかで会い、そこで坂口さゆのおごりで食べた何年ぶりかのうどんがとてもおいしく、新日本入りを決意する。「裏切り者は許さない!」と馬場さんの考えであり、85年に移籍前に坂口さんから「馬場さんに1発殴られる覚悟で最後の挨拶してこい!」と促され、ある日、馬場の待っているホテルのロビ―で会いずらそうに1人でいる越中に「おい、どうしたんだ」と声をかけてくれた天龍だった。そこで越中は移籍の胸を伝えると天龍は親切に、「俺がついていってやろう。」と一緒にきてくれた。その時に1枚の封筒を渡されていた。天龍は話しのお膳立てをして馬場さんと越中のいる部屋から出ていった。馬場さんと新日本移籍話がまとまった越中はロビ―へ天龍さんにお礼の挨拶へいくと天龍の姿は消えていた。「そういえば封筒をもらったな」と越中が封筒を開けて見ると、50万円ほどの支度金が入っていた。そして中の1枚の紙に「また、いつかリングで会おう!」と激励の一言があり、越中は涙でうどんを1人で食べながら「天龍さん、ありがとう。きっとこの恩はいつか.…。」と感謝した。そして1996年、天龍率いるWARが新日本と提携し、最初に向かえうったのは越中ひきいる平成維新軍で同年最終戦12月の大阪でシングルで天龍の相手に越中は名乗りを上げた。しかし、越中の心の中には熱いものがあった。それは「あの時、天龍さんが送り出してくれたおかげでここまで進化しましたよ。」とリングで相対時することで体で伝えたかった。一方、メインの天龍対越中の試合はもう、レスラ―冥利に尽きる好試合となった。試合は天龍が20分ぐらいで勝利したが、成長した越中を見て天龍は喜びの表情を浮かべていた。

  11. 90年5月に設立したSWSに引き抜き攻勢を仕掛けられた時に週プロ編集長のタ―ザン山本さんが、馬場さんから人目のつかないホテルニュ―オオタニに呼び出され、50万円の現金を受け取った時には世間話で馬場さんはごまかしていたが、山本氏はその条件を「SWS叩き」だと感じていた。それをもし断り、現金を返すと私が思うにはもしかして「じゃ、全日本の取材は今後は一切お断りだ」と言われかねないと。週プロにとっては新日本、全日本のメジャ―2団体の取材拒否は売れ行きにも反映するので仕方なく受けたと思う。山本氏の記事は確かに普通の記事よりも刺激的で面白い。ただ、独断であることが、レスラ―の反感を買ったとおもう。

  12. コメントからもターザンを嫌いな人が多い事がわかります。 しかし取材拒否されるまでゴングより部数が上だったということは、ゴングより支持されてたということですよね。好き嫌いは別にしてターザンの誌面、文章が支持されてとということだと思います。そこは認める部分でしょう。 ちなみ私は週刊ファイト派でした😄

Leave A Reply