デンマークのストライカー、ヨン=ダール・トマソンのプレー集をあなたに

キューゲBKの下部組織でサッカーを学び、1992年11月に16歳でトップチームに昇格でキャリアをスタート。1994年12月、オランダのSCヘーレンフェーン移籍すると2年目にレギュラーに定着しコンスタントに得点を重ね、1996年にはデンマーク年間最優秀若手選手に選ばれた。

ヘーレンフェーンで3シーズンを過ごした後、1997年にイングランドのニューカッスル・ユナイテッドFCに移籍するも、リーグ戦23試合で3得点と結果を残すことは出来ず。翌1998年にはフェイエノールトに移籍すると初年度にオランダ・リーグ優勝、2001-02シーズンのUEFAカップ決勝のボルシア・ドルトムント戦では決勝点になる3点目を挙げる活躍などで優勝に貢献した。

2002年にイタリアのACミランへ移籍。当時のチームにはウクライナ代表のアンドリー・シェフチェンコやイタリア代表のフィリッポ・インザーギが在籍していたこともあり、スタメンでの出場は叶わなかったが、スーパーサブとしてUEFAチャンピオンズリーグ 2002-03優勝や2003-04 セリエA優勝に貢献。トマソン自身はサッカー人生において思い出深い出来事としてフェイエノールトでのUEFAカップ優勝とACミランでのチャンピオンズリーグ優勝の双方を挙げている[2]。

2004-05シーズン終了後にドイツ・ブンデスリーガのVfBシュトゥットガルトに移籍し、2007年冬の移籍市場でスペインのビジャレアルCFにレンタル移籍。欧州主要4リーグ(イタリア・セリエA、イングランド・プレミアリーグ、スペイン・リーガ・エスパニョーラ、ドイツ・ブンデスリーガ)でプレーした経験のある5人目の選手となった(他4人はフロリン・ラドチョウ、ゲオルゲ・ポペスク、アベル・シャヴィエル、ピエール・ウォメ)[3]。 2007-08シーズンからは完全移籍となった。

2008-09シーズンには古巣であるフェイエノールトへと復帰を果たし[4]、2009年4月26日のADOデン・ハーグ戦でエールディビジ通算100得点を達成した。2010-11シーズンは右足の怪我のため出場機会はなく、2011年5月に医師から「復帰までに全治3カ月かかり、その後再びピッチに立てる保証はない」と診断されたことを受けて、同年6月7日に現役引退を発表した[2]。

デンマーク代表
デンマーク代表としては1997年3月のクロアチア戦で代表デビュー[1] し、1999年6月9日に行われたUEFA EURO 2000予選のウェールズ戦で代表初得点を決めた[1]。UEFA EURO 2000では無得点だったが、2002 FIFAワールドカップグループリーグ第1戦のウルグアイ戦で2得点、第2戦のセネガル戦と第3戦のフランス戦で1得点ずつを決め合計4得点をあげグループ首位でのベスト16進出に貢献し、自身も大会得点ランキングの4位になった。UEFA EURO 2004でもグループリーグ第2戦のブルガリア戦で1得点、第3戦のスウェーデン戦で2得点の合計3得点をあげベスト8進出に貢献した。

代表チームでは主将を務め精神的支柱としてチームを牽引し[5]、2008年2月6日のスロベニアとの親善試合でポウル・ニールセンの持つ歴代最多代表通算52得点に1得点と迫った[1] が、選手としてのピークが過ぎていたこともあり[5]、その後2年間近く無得点に終わった。2010 FIFAワールドカップグループリーグ第3戦の日本戦の81分にPKから得点を決め[6]、歴代最多得点記録に並んだが、デンマークはこの試合に1-3で敗れグループリーグ敗退。2010年8月8日に代表からの引退を表明した[7]。国際Aマッチ112試合出場は歴代2位[8] 、52得点は前述の通りポウル・ニールセンと共に歴代最多記録である[8]。

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