加入が決定したエリクセンはクラブ公式サイトで「ヴォルフスブルクは僕にとってブンデスリーガでの初めてのクラブだ。この新たな冒険を楽しみにしている」と語りながら、次のようにコメントを発表している。
「ヴォルフスブルクで何かを成し遂げられると確信している。クラブ上層部との話し合いはとてもうまくいった。パウル・シモニス(監督)がチームと僕に対して明確なビジョンを持っていることをすぐに感じた。デンマーク代表チームで馴染みのある選手が数人いるという事実が、ヴォルフスブルクを僕にとってさらに魅力的な選択肢にした」
なお、現在のヴォルフスブルクには5名のデンマーク人選手が在籍しており、MFイェスパー・リンドストロムやFWヨーナス・ヴィンドらはデンマーク代表でもチームメイト。さらに、スポーツディレクターのピーター・クリスティアンセン氏、パフォーマンスマネージャーのクリスチャン・クラルプ氏もデンマーク人と、エリクセンにとっては馴染み深い人物が揃っている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/48d4c6229710c7efca82741e75a2c1ed2848a8dd
https://www.goal.com/story/christian-eriksen-king-of-denmark/
フェルトンゲン、アルデルヴェイレルト、ダビンソン・サンチェスらとはアヤックスとスパーズ、2クラブにわたって共闘した盟友でした。
プロデビュー戦はNACプレダ戦で先発メンバーに選ばれた。
ほぼ満員となったアウェーのNACスタディオンでのキックオフ直前、センターサークルでエリクセンは当時アヤックスのキャプテンだったルイス・スアレスに抱きしめられ、耳元で励ましの言葉をささやかれた。
すると、彼は「わかりました」とアドバイスにクールに感謝してうなずいた。その直後、彼はボールにプロとして初めて触れ、キックオフ。
「クリスティアンには感情がないかのようだった。17歳だった彼は僕の目をまっすぐに見て「‘わかりました」と言って、いつものように試合を始めた。普通その年齢の選手は心配したり考えすぎたりするが、クリスティアンにはそれが全くなかった」とスアレスは振り返っている。
トッティにラウドルップ兄弟と多くの選手に憧れたサッカー少年だったようです。
父親トーマスはチェルシーに対して強い憎しみを抱いている。これは2011年にチェルシーがエリクセンを「か弱すぎる、それほど素晴らしい選手ではない」と評価し獲得を見送ったことが理由です。
当時読んでいたサッカー雑誌で92年生まれの天才として4人紹介されていました。ネイマール、ゲッツェ、ウィルシャー、そしてエリクセン、全員波乱の人生を送っています。
デビュー直後はいわゆるNo.10として紹介されることが多かったですが、司令塔タイプのわりにプレーエリアが広く、運動量がとても多い選手でした。それでいて両足のクオリティは特別なものがありました。マンU時代の同僚ブルーノと少し似た8番から10番の間の選手で、一か八かを狙いすぎるブルーノより、正確なプレーを好んでる印象です。3人とも機動力がなかったですが、カゼミロ、ブルーノ、エリクセンこのトライアングルが一番好きでした。
アヤックスで世界に名を轟かせるも、なかなかステップアップせず疑問に思っていたところ、ベイルをマドリーに売却したお金でスパーズが獲得。ベイルマネーで獲得した選手は期待外れが多かった中で彼はしっかり結果を残していました。その後ソンが加入し、ケインが台頭。さらにデレ・アリの飛躍など近年のスパーズ最盛期を支えていました。
心停止後、家族は彼がサッカー選手を続けることに反対だったようです。
アストーリ、プエルタ、ハルケ、松田直樹選手、
世界中のサッカーファンにサッカーよりも大事なものがあると彼が思い出させてくれました。
現在も過密日程で酷使されるサッカー選手たち、何かが起きる前にFIFAやUEFAが考えを改めることを祈っています。
同じく心停止後ICDを埋め込んだボーヴェはローマでリハビリ中だが、セリエAはICD装着車のプレーが許可されていないので国外移籍を検討しているようです。