ディエゴマラドーナ。元アルゼンチン代表。ペレ、クライフ、ベッケンバウアー、ジーコなどと並ぶ20世紀のサッカー史に名を残すスター選手。
前園真聖など憧れた選手は多い。

1960年10月30日、ブエノスアイレスに貧しい家庭の子として生まれた。

1974年にAAアルヘンティノス・ジュニアーズのトップチーム昇格。

1976年にアルゼンチン・リーグ史上最年少の15歳11か月でタジェレス・デ・コルドバ戦に初出場。同年プロ初ゴールを決めた。

1979年、1980年に得点王を獲得した。

1979 FIFAワールドユース選手権に出場した。

日本での開催で国立競技場はマラドーナ見たさに満員になった。チームメイトのラモン・ディアスと得点を量産し優勝した。

1981年、ボカ・ジュニアーズへ移籍した。この年にリーグ優勝を果たし、スペインのFCバルセロナに移籍が決まった。

スペインではビルバオ戦で度重なるファールに苛立ち、キレて試合後に顔面を膝蹴りする乱闘暴力事件を起こした。

1982 FIFAワールドカップ スペイン大会では、イタリア代表のエースキラーことジェンティーレの徹底的なマークに苦しむなど、ファール覚悟の守りに苦戦した。ブラジル戦では、ジーコやファルカンなどの黄金の中盤に翻弄され我慢ができず、バチスタの下腹部を蹴り、報復行為でレッドカードを受けた。

1984年、イタリア・セリエAのSSCナポリへの移籍。

サポーターから「ナポリの王」と呼ばれて愛された。

ナポリでは公式戦通算115ゴールを挙げた。

1986 FIFAワールドカップ メキシコ大会では大活躍した。神の手ゴールや伝説の5人抜きなどマラドーナのための大会だった。

また、イギリスとのフォークランド紛争もあり、イングランド戦で活躍したことはアルゼンチン国民に喜びを与えた。

1986-87シーズンはクラブ史上初のセリエA優勝を飾り、コッパ・イタリアとの2冠を達成した。

1990 FIFAワールドカップ イタリア大会では、初戦のカメルーンの驚異的な高さに敗戦するも、怪我に苦しみながらも勝ち上がり、準優勝だった。

1990年から1991年にかけて、麻薬使用やマフィアとの関連が報道されてマスコミから集中砲火を浴びた。

1991年、名古屋グランパスエイトへ移籍が決まりつつあったが、コカイン使用の逮捕で流れた。

その後はスペインのセビージャなどチームを転々とした。

1994 FIFAワールドカップ アメリカ大会では、直前のプレーオフで代表復帰した。カニーヒアやガブリエル・バティストゥータと強力な攻撃陣を組み、ギリシャ戦でスーパーゴールを決めて完全復活を予感させたが、続くナイジェリア戦後のドーピング検査で使用禁止薬物が検出され、大会からの即時追放と15か月の出場停止処分を受けた。

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27 Comments

  1. 身内が亡くなって感じた事だが
    目標を達成した時には、一番その活躍を見せたかった人は亡くなっていたりするんだよな
    故人の思いを受け継ぐからこそ強くなる面もあるからかもしれないが、不思議なもんで、宿命なのかな

  2. 確かにやばいけど、これ見た後にメッシ見るとメッシの方が上やなってなっちゃう。

  3. 国立の芝生が、悪いこと悪いこと💦

    コレが日本で最後のマラドーナのプレーと思うと申し訳なさすぎる

  4. 何が凄いって、乗用車のビューカメラ?、を、備えているような、視野の広さというか何というか。後すら見えているような感覚ですね。

  5. いまマラドーナが過小評価されるのと同じように
    メッシも過小評価される時代がくるんだろうかww
    あの時代だから・・・みたいな

  6. マラドーナを含め偉大なる選手達は亡くなった今でも 私たちを魅了し続ける それは永遠に…

  7. なお神の手を決めた後のマラドーナのコメント
    「何が神の手だ!あれは俺の手だ!」
    「イギリス人の財布を盗んでやった気分だぜ」

    マラドーナの畜生精神はいまのアルゼンチン代表にも受け継がれているみたいですね…😂

  8. 俺が好きなマラドーナの名言
    「キムチばかり食べてるとああいう馬鹿どもが生まれるのかね?」

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