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本山雅志や三笘薫らの前に活躍した日本が誇る生粋のドリブラー。

鹿児島県出身、東郷少年サッカー団に入団。
スポーツショップのオーナーに貰ったマラドーナのビデオに魅了され、ドリブルを鍛えた。

鹿児島実業高校で1年時からレギュラー。
1990年の68回、1991年の69回、1992年の70回の全国高校サッカー選手権大会に出場。11試合に出場して8ゴールと大活躍した。
3年時に城彰二や遠藤彰弘が入ってきた。

1992年に横浜フリューゲルスに入団。1年目は一度もトップチームに上がれず、プロの厳しさを知った。この頃はナンパをしたり中途半端な時期だった。

1993年にアルゼンチンのヒムナシア・ラ・プラタへ2ヵ月間短期留学に行った。そこで本気のサッカーに出会い心を入れ替えて帰ってきた。

1993年6月5日、ヴェルディ川崎戦、延長後半4分にJリーグデビューを果たした。
7月10日のマリノス戦でJリーグ初ゴールを獲得した。
横浜Fが優勝した1994年の第73回天皇杯の決勝戦に先発出場した。

モネール、エドゥー、ジーニョ、サンパイオ、エバイール、山口素弘、三浦淳宏らと強い横浜フリューゲルスを築いた。

1996年にスペインのセビージャと接触。海外移籍が現実味をおびていた。
しかしフリューゲルスの高額な移籍金設定がネックとなり、交渉は決裂した。
ヴェルディ川崎に移籍したがモチベーション不足などがあり不調が長引いた。

1996年のアトランタオリンピックのU-23日本代表の主将としてチームを引っ張った。
川口能活、中田英寿、城彰二、伊東輝悦、松田直樹、小倉隆史ら個性派メンバーを統率した。西野監督の信頼も厚かった。
28年ぶりの五輪出場を果たした。

1995年のアジア一次予選は、台北、タイなどを圧倒。危なげなく勝ち上がった。ハットトリックも決めた。

1996年のアジア最終予選では、イラクに引き分けたものの、オマーンとUAEに勝利し準決勝サウジアラビア戦に進出した。そこで2ゴールを決めて本大会出場に貢献した。
サウジアラビア戦のコーナーキックでのズッコケによる時間稼ぎは前園の執念がよく現れたシーンである。

メキシコ五輪から28年ぶりに出場した1996年アトランタオリンピックではベベット、リバウド、ロナウド、ロベルト・カルロス、フラビオ・コンセイソン、アウダイールなど超豪華布陣のブラジルに勝利するというマイアミの奇跡を演じた。ナイジェリア戦で敗れたもののハンガリー戦では2ゴールを挙げて勝利に貢献した。ロスタイムの逆転劇は前園のハイライトシーンとなっている。

1994年のキリンカップでファルカン監督に呼ばれ日本代表に召集された。オーストリア戦でデビューした。同世代の小倉隆史も出場しゴールも決めた。セリエA挑戦中の三浦知良とのコンビネーションも良かった。前半30分に不運の負傷退場となった。

1994年の広島アジア大会に全試合フル出場した。準々決勝の日韓戦で不可解なPK判定もありチームは敗れた。ファルカンはこの敗退で解雇された。この大会は井原正巳の起死回生のロングシュートが印象的だった。

加茂監督のもと、1995年のダイナスティカップで躍動した。
中国や韓国相手にドリブルが冴え渡り、優勝に大きく貢献した。

ピンクのポルシェを購入。話題になった。

1996年のウルグアイとの親善試合でフリーキックによって日本代表初ゴールをあげた。
アジアカップのUAE大会では4試合で2ゴールとまずまずだったが、チームは準々決勝でクウェートに敗れた。

1998年にブラジルの名門サントスに期限付き移籍した。その後ゴイアスECを経て日本に復帰。ギリシャやポルトガルのクラブの練習に参加するが契約に至らなかった。

2000年にJ2の湘南ベルマーレに移籍。
その後はKリーグの仁川ユナイテッドFCなどに所属した。

2005年にセルビアのクラブの練習参加するも契約には至らなかった。その年に現役を引退した。

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30 Comments

  1. サッカー素人からみて、昔はワザと痛がってコケてみたり、時間稼ぎしてみたり、審判やラインズマンが買収されてたりと公平性にかけるスポーツと感じて魅力に欠けました。しかし2022年ワールドカップVARが導入されて完璧ではないと思いますがほぼ公平なルールで開催され、日本やアジアにもチャンスが出て来たように感じました!! 前園さんの時代は肉体的にも精神的にも別の意味でも本当に大変だっただろうなと思います!今の日本サッカーがあるのはそんな時代を頑張ってくれた前園さんや先人達のあきらめない力があるのだとこの動画で感じました!

  2. 当時はファッション誌にも出ていたし前園さんが大人気だった時代は覚えているんだけど、キャリアをどう終えたのかは知らなかった。色々とあったんですね。良い動画でした。

  3. アトランタ世代は指導者としての貢献無い空白世代。好きにすれば良いけど元キャプテンが芸人崩れ風解説者だもんなぁ

  4. この先日本に三笘みたいにもっと上手いドリブラーは沢山生まれてくるだろうけど、
    日本のマラドーナと呼ばれるのは前園以外には現れないだろう。

  5. 間違いなく前園という個の力が当時苦戦していたアジアを突破して世界の舞台に辿り着いた。これからの世代でも個の力まだまだ楽しみ。

  6. 五輪後のスペイン移籍失敗から目標を失いモチベーションガタ落ち。リーグ戦でも冴えのないプレーが続き日本代表にも声がかからなくなってさらにモチベーション低下。悪循環に歯止めがきかなくなった。
    95年、紛れもなく日本代表の中心選手は前園さんだったのに、97年予選で中田英寿という絶対的中心選手が誕生したことでみんな存在すら忘れてしまった。

  7. 当時日本代表揃いのマリノスの守備陣をぶち抜いたのを見てとんでもない選手が出てきたなと思ったのを思い出す

  8. 日本がワールドカップに連続出場するようになり、ベスト16は行けるだろうくらいにまでなったのには、多くの先人の積み重ねがと苦労があったからこそ。前園とアトランタ五輪世代も、間違いなく欠かせなピースの一つだった。

  9. アトランタ五輪、ブラジルはジュニーニョ・パウリスタが注目されて無かったでしたっけ🤔
    でも、やっぱりナイジェリアのオリセー、ババンギタ、オコチャ、アモカチ、カヌ、最強過ぎた…

  10. 今の日本代表とやっぱり雰囲気が違う。なんか戦国時代の武士という感じがする😁

  11. 重心低く中央を切り裂くようなドリブルほんと凄かった
    左足も上手だった
    歴代日本代表ベストイレブンのシャドーに推す

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