ゆっくりプロレス格闘チャンネルへようこそ!
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13 Comments
雑誌プロレスラーのお宅拝見でがっちり住所も描いてるザ昭和時代でしたね。ヒールは大変ですよね。邦昭のファンレターにはカミソリが仕込んであったとか
お疲れ様です!今週も濃密な2時間をありがとうございました!
「新間を切るにはどうしたらいいんだ?」
昭和50年に大塚直樹さんはアントニオ猪木さんにこう切り出されたという。
異種格闘技路線でアリ戦での負債を精算(本当にしたのか?)、会社の利潤の見通しが出来始めた頃に猪木さんが新間さんのその横領&着服を疑ったという。
新日本プロレス創設時からの若き営業マン・大塚直樹の手腕の信頼性が伺えるエピソードですね。
「金は無いけど夢があった」創設時、当然自社バスなどは無く、大塚さんはかって務めていたTOYOTA関連の会社から借りたハイエースを運転し巡業。
宿泊先は猪木&豊登&小鉄さんは個室、他全員は大部屋だったがそれが皆の結束を固めたというのは美しいエピソード。
クーデター事件からの今回の「新日本プロレス最大の危機」、大塚さんの愛社精神からくる激しい義憤を感じざるをえない。
そしてマスターKさんの最後の考察はグッときました。
36歳にして「新日本プロレス興業」を立ち上げジャイアント馬場さんから全日本プロレスに歓迎された大塚さんの営業手腕・人脈を猪木さん達はよく知ってるはずなのになぜ侮るようなことを。
ーしかしマスターKさんの語り部もさることながら皆さんのチャットの内容の濃さも凄いですね。
「上井文彦さんは新間さんについて行ったから新日本プロレスに戻れた。」
とか!確かにジャパンプロレスの加藤一良さんは戻りたくても戻れなかったとききました。
まぁ、これは「光と闇 長州力の功罪」として動画をあげてくれることをお願いします。
今週も本当に楽しかったです!ありがとうございました!
大試合の会場(蔵前とか)にいくと 前座の第一試合がはじまるまえ すごいセレモニーをしていたりする。大量離脱のころだったが 古舘アナがリング上で表彰うけていた。なんと実力世界一のベルトが猪木さんから直々に古舘アナに手渡され 古舘さんはベルトを頭上高々とかかげてファンに見せていた。わたしは二階席からみていた。
あの、ゴッチからおくられた 実力世界一の!! ベルトだ。古舘さん、いまも宝としてもっているにちがいない。
もう、猪木さんはゴッチを見限っていたのだろうか。ゴッチを嫌いになっていたのだろうか。
別会場だったが 古舘さんが「猪木の富士サファリパーク」とリング上から会場のファンにしゃべったのも前座まえのセレモニーのときです。
大塚さんが新日時代に興業日程を決めていたんですが、ある年、冬の札幌大会を外したら、猪木に『俺はこの時期の札幌雪まつりを楽しみにしているんだ!勝手に決めやがって!』とエラく怒られたんですよね・・いや事前に相談くらいはしてると思うんですけどね~・・
84年頃からWWFの日本に来るメンツが固定化されたのはビンスJr.が実験握って全米侵攻を開始したせいで
日本に行かせる新しい顔を出す必要性が無くなったからだと思います
ホーガンも84年はIWGPの決勝戦だけの出場でした(この試合がまた大荒れになるんですけど)
あと、大塚さんが大学生の時にバイトしていた国際プロレスですが、さらにその国際プロレス内で企画会社を作っていたんですよね・・(自ら作ったというよりは誘われたらしいですが・・)会社名は大八(七?)企画だったかな〜・・?七、八人で作った会社で、因みにR木村も名前を連ねていましたね。
LIVEお疲れ様でした!
このチャンネルが徐々にファンを増やしているのは大変喜ばしいのですが
最近Kさんの労働時間が増えているのが心配です😅
このまま視聴者数が増えていくと大変な事に。。笑
リアルタイムで拝聴出来ませんが大変楽しく拝聴させて頂きました。
毎回楽しみにしています。
長州が新日本から大塚氏と結びついたもうひとつの原因はあの最初の暴動事件である1984・6・14第2回IWGP優勝戦の猪木対ホ―ガン戦に介入するアングルをさせられたこともある。ファンからすれば勝手に長州が試合に干渉し、猪木、ホ―ガンの両選手にラリアットをかませて試合は大混乱の末、猪木さんがリングアウト勝ちで優勝したが、納得しない13000人の大観衆から物が投げられる大暴動になったのはご存知の通り。ただ、長州は乱入してもおかしくない状況でもあった。長州は明らかに猪木さんはホ―ガンのAXボンバ―を食らい、フラフラ状態に長州は打倒、猪木をホ―ガンに先を越されてはと焦り、乱入したと私は思ったのですが、39年経った今、猪木の指示で長州は介入を引き受けたことが明らかになる。ミスタ―高橋さんから「リキちゃん、今日の優勝戦に一枚、からんでくれる?」と頼まれ、長州は「それ、社長の命令ですか?」と高橋に聞くと「そうだよ。」と答え、「じゃ、しょうがないですね。」と引き受けたのですが、明らかに長州はやりずらそうだったという。それと別の話しで山本小鉄が1980年に引退した理由は猪木さんのアントンハイセルに反対したことで引退させられたという。マスタ―Kさんの話しにありました坂口さんと山本さんの仲は悪かったようで両者は口もきいていなかったようです。人情家の山本さんは新日本プロレスに1983年当時は20億円近い売り上げ売り上げがいりながら運転資金程度しかないことに嫌気がさした大塚氏の相談に乗り、猪木、坂口、新間体制に反発していた山本氏でなければク―デタ―に発展しなかったと思います。山本さんは解説者、審判部長というポジションに納得もしてなかったようですね。
しかし プロレスというのは キライな親戚とにている。
ふだんは「あいつ、くたばれ!」とか「あのクソジジイ、はやく死なんかいな…………」「クソ八百長が…………」
ではあるが いざ盛大なお年玉くれるとなると
「やったー、さすがおじさん、だいすきだよ〜〜!!」
もののみごとに手のひらかえす。
ひとはこうして生きてゆくのです♡
やおちょー〜
!! やおちょー〜!!❤😂🎉😢😮😅
ホーガンはメジャーになるためにプロレスラー
になったような感じで、本人の思惑通りだと思う。
テリー・ファンクも同じような道を模索して、一旦
引退したが、こちらは思惑が外れてまたプロレス復帰。
1982~1988あたりは日本、外国を含めて様々なレスラー
や団体の興亡が見られ、興味深かった。
まあ、馬場さんも長州に虎の子のPWFのベルトを巻かしたのは「勝手なことしないで全日本のいろよ。」ということだったのかな。ただ、しつこいようですが、あのキッド、スミス組を引き抜いたのは「紳士協定、筋を通せ!」と言っておられたわりには大人の事情というより「それはないでしょう」という感じでした。
当時この離脱の後新日本本当潰れるか心配しました。その後キッドスミスの離脱も驚きました。確か開幕前のラジオで田中ケロちゃんがキッドスミスが全日本に行ってしまったと意気消沈していた事を思い出しました。馬場さん悪だなと当時は思いましたがその後話を聞くと新日本が北米責任者に大剛氏を就任させた事にヒトさんが激怒したからその報復と聞きました。ブレッドハートにプロレスを教えてWWEで王者になれたのはヒト先生のお陰と94年のWWF日本ツアーで名古屋公演の時ヒトさんのお店に出向いてお礼を言ったと聞きました。私財を注ぎ込んで新日本の若手の面倒見てのこの仕打ちでは仕方ないですね。関係者への扱いが新日本と馬場さんとの違いなんですね