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31 Comments

  1. あの日、夢破れた君へ。
    国際Aマッチ35試合出場1得点。
    僕が日本代表としてプレーした記録は決して派手な数字ではないゖれど、一戦一戦は濃く、挫折と成長の連続だった
    初出場は1992年5月、国立競技場。
    無名だった僕は、キリンカップサッカーで初めて
    代表のピッチに立った。相手は強豪アルゼンチン代表。
    僕らは圧倒的な力の前に負けた。悔しかった。
    同じ選手として、このまま終わるわけにはいかない。
    この差を何としてでも埋めたい。日本代表を世界のトップと対等にいやそれ以上の存在にしたい。僕は世界に負けて、夢を持った。
    それからは必死だった。無我夢中で駆け抜けて、食らいついて。
    多くの苦難を乗り越えて、世界への扉を掴みかけた時、夢は残酷な結末で崩れ去った。
    1993年10月、カタール・ドーハ。
    後半45分、僕の頭上をボールが通り過ぎていき、相手のヘディングシュートがスローモーションのように
    ゆっくりとゴールに吸い込まれていく
    僕はそれを、ただ眺めることしかできなかった。
    実は、その後のことをあまり覚えていない。
    整列はちゃんとしたのか。誰かと話はしたのか。
    宿舎のホテルまで、どうやって帰ったのか、気づいたら、僕はホテルのベランダで泣いていた。
    何度も悔やんで、何度も何度も自分を責めた。
    そして僕は人生最大の失望の渦のなかで学んだ。
    勝たなければ、何も残らない。何も手に入れることはできない
    あれから25年。僕はいま日本代表を率いている。
    道半ばで散った夢を叶えるために、挑戦を続けている
    4年後、我々が目指す舞台は、因織の地カタール。
    最後に、あの日、夢れた君に言っておきたいことがある。
    必ず日本を強くして、必ず世界に勝ってみせる。
    僕たちにはもう、悔し涙は十分だ。
    日本代表監督 森保一

  2. 奇跡で勝てるほど甘くないよね。必ず勝つかは別として、勝ったと言うことは実力があるということ。

  3. キリスト教を日本に持ち込めなかったスペイン、いや持ち込ませなかった豊臣秀吉。ここでもう一度ボッコボコにした森保さん。

    無敵艦隊ボロチック艦隊で草

  4. デスノートもといヤスノート使いで名が上がって来たポイチ。
    コスタリカ戦ではスペルミスしたけど、クロアチア戦ではするなよ。

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